特別講演

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特別講演会
日 時:9月27日(日) 13:00~14:00

講 師:九州産業大学芸術学部 学部長 黒岩俊哉 氏

演 題:芸術と科学の間(はざま) -美と選択の思考-

※この講演はYouTubeにてライブ配信を行います。大会参加者以外の方はYouTubeにてご聴講下さい。
  YouTubeライブ配信 https://youtu.be/jp7qg5m3U14

特別講演会ライブ配信


講演概要:
 芸術家は“作品”をつくり、科学者は“理論”を完成させる。芸術家は作品で「美」を追究し、同時に自身の意図を込める。科学者は理論を追究し、一般化し、広く未来へ伝える。
 芸術家は、“作品”を制作し発表することで存在をたらしめるが、その作品制作の過程はミステリアスな闇に包まれている。それは芸術家が、芸術の表現を“無意識的”に行っていることに由来する。芸術家は、自身の特有かつ特殊な法則を作品制作に用いるが、その法則を言語化・明示化することは、ほとんどない。そのプロセスは、大概において藪の中であり、時に機織(はたおり)をする鶴の不可視性にも例えられる。
 芸術には「美しいもの」「心を豊かにするもの」「超越的なもの」「神話/神秘的なもの」という印象がある一方で、「わからないもの/わかりにくいもの」「敷居が高いもの」「異質なもの」「風変わりであるもの」「特権的なもの」など、相対する評価を併せ持つ。これら二律背反的な評価が、奇妙にも同時に存在することで芸術のミステリアスな側面をさらに増長することになるが、その大きな理由の一つとして、前述の制作過程の不可視性が挙げられる。さらに、芸術自身が「直感」「感覚」「感情」「洞察」「隠喩/暗喩」「想像性」「非実体性」といった、非言語・非論理的な側面を重視していることも、印象評価の多重性を推し進める原因となっている。
 それに対して“科学”は、「観測」-「実験」-「分析」-「考察」-「理論化」のプロセス(手順)を重視する。これらの手順は順次完了されなければならず、各項目を省略することはできない。科学は「言語化」「論理化」「手続き」「原因と結果」に対する態度を厳密に尊重することで、誰もが理解・検証・再現可能であることが求められ、グローバルな基準や規範によってそれらの価値が担保されている。
 このような“科学”の線形的な手順とは対照的に、“芸術”は並列的・重層的な手順をより好む。芸術においては「飛躍」や「偶然」によって、芸術家自身にも予測不可能な、新たな表現や技法の発見が期待できるからだ。

 さて、先に述べた“芸術”と“科学”の基本的な態度や特徴は、あくまで市井で語られる一般的なものとも考えられるが、問題となるのが、“芸術”と”科学”が、永久に相容れないものとして捉えられていることにある。科学の論理性と、芸術の非論理性や手続きの違いによる区別は、近代における“科学/数学”と“哲学”の論争に近似しているが、果たして両者はそれほどまでに遠い場所に位置するのだろうか。
 実は、“芸術”と”科学”には、その本質的な目的性においては共通する部分が多い。たとえば、英語の「art」は、ギリシャ語の「techné(テクネー)」と、ラテン語の「ars(アルス)」を語源に持つ。「techné」や「ars」は、日本でいう「技術」(≒Technique, Technology)や「人工の」(≒Artificial)という概念に近く、今の「芸術」という言葉が有するような“美”や“表現”を含有するような概念ではなかった。日本語の「藝術(芸術)」は、明治初期の哲学者である西周(にし・あまね)が、「art」(英)や「kunst」(独)などの西洋語を「藝術(芸術)」と訳し、「技術」とは別に分類したことに始まるとされるが、そもそもその古い語源においては、ひとつの共通した概念であったと考えられる。ちなみに西は「philosophy」を「哲学」と訳したが、その哲学の祖であるアリストテレスの自然学(自然哲学)は「Physica」(ラテン語)、「Physics」(英語)と表記されるように、万物の理(ことわり)という点で、現在の科学(物理学)の源流であり、“科学”と“哲学”の概念も、もともと同一のものであったと想定できる。
 また、レオナルド・ダ・ビンチ(Leonardo da Vinci)やアインシュタイン(Albert Einstein)のように、“芸術”と“科学”を融合し、それぞれの限界を超えようとした芸術家や科学者もいる。“芸術”と“科学”の相互相乗効果は、寺田寅彦やアインシュタイン自身らが指摘するように、それぞれの融合によって新しいステージを作り出す可能性を孕んでいる。例えば、近年の世界的な企業では、芸術家やデザイナーの意見や提言を採り入れることに積極的であり、芸術家を経営陣の一角として迎え入れることが多くなっている。さらに、ビジネススクールなどにおいて、“芸術”のカリキュラムが必修化しつつあるという状況もある。

 今回の講演では、講演者の芸術家としての立場からいくつかの事例を挙げながら、芸術の重要な特徴である「美」による選択の可能性を示唆する。また、“芸術”と“科学”の中間に位置する、新たな未踏の分野についての考察と、それをとりまく諸問題について、今日的な問題提起を行いたい。

 講師履歴:
黒岩俊哉 (くろいわ・としや, KUROIWA, Toshiya)

1966年熊本市生まれ。
1990年九州芸術工科大学(現・九州大学)画像設計学科を卒業後、1992年に同大学院博士前期課程情報伝達専攻を修了。
画像設計学科視覚芸術講座助手を経て、1999年に九州産業大学芸術学部デザイン学科ビジュアルデザインコース講師に赴任。
その後同コースに「映像アニメーション領域」を創設し、さらに2017年には「芸術表現学科メディア芸術専攻」の設立に寄与した。
現在は、同専攻の教授および芸術学部長を務める。また、大学院芸術研究科の博士後期課程も担当している。

専門は『メディア芸術における映像芸術の表現と技術』について。
担当科目は「映像芸術表現論」「メディア芸術論」「映像芸術設計制作実習」など。
大学時代より実験映像の制作を始め、芸術としての映像を探求しながら、映像作品やインスタレーション作品などのメディア芸術を発表し続けている。
また舞台やコンサートの映像芸術では、他分野のアーティストとのコラボレーションも多く、特に舞踏家の原田伸雄とは約20年にわたる共同制作を続けており、舞踏の身体表現と映像における芸術や技術との哲学的考察を繰り返しながら、新たな総合芸術表現に挑戦している。

作品群:
2016 日本映像学会第42回大会 実験映像作品 “nHr°3”, 日本映画大学白山キャンパス(川崎市)
2016 「MAAS展 伊藤高志、ブルベス・ジェローム、黒岩俊哉—三人のメディア芸術作家による映像展 Vol.1」“記憶の融即律 2016 nHr°2”, ART SPACE BAKU(福岡市)
2017 第46回立玄展, 九州産業大学美術館(福岡市)
2017 日本映像学会第43回大会 実験映像作品 “nHr°4 -Ophelia-”, 神戸大学(神戸市)
2017 「MAAS展 伊藤高志、ブルベス・ジェローム、黒岩俊哉—三人のメディア芸術作家による映像展 Vol.2」, ART SPACE BAKU(福岡市)
2017 「鎮魂の舞」 “dance for repose of souls” 「光と闇の音(ね)」, 熊日新聞社新聞博物館(熊本市)
2017 STREET ART-PLEX KUMAMOTO・EXTRAVAGANZA 2017 原田伸雄&黒岩俊哉「光と闇の音(ね)」, 熊本現代美術館(熊本市)
2017 第47回立玄展, 九州産業大学美術館(福岡市)
2017 現代舞楽「織・曼荼羅〜博多織の機音による」(舞台映像担当), アクロス円形ホール(福岡市)
2018 「風の方程式-音・からだ・映像の実験-」フランスの現代音楽家ガルロと舞踏家原田伸雄とのコラボレーション, 福岡アジア美術館あじびホール(福岡市), Gallery SOAP(北九州市)
2018 「MAAS展 Vol.3」 “春の祭典—序—”, ART SAPCE BAKU(福岡市)
2019 第48回立玄展, 九州産業大学美術館(福岡市)
2019 黒岩俊哉映像個展「まなざしのパッセージ2019」ART SPACE BAKU(福岡市)
2019 「春の祭典 Le sacre du printemps -duo-」九州産業大学美術館(福岡市)
2019 第49回立玄展, 九州産業大学美術館(福岡市)




最終更新日:2020年8月12日